子種おじさんの悪
[第122話 二千年前の君から より]
我が巨人軍は永久に不滅である
通称、子種おじさん。
棚ボタでのし上がった人。
古代エルディアの族長ですね。
名前はフリッツ。なんちゃら・フリッツ。
今回は彼の話です。
俺の中で122話が止まらない。
神回ですよ、ホント。
エルディア族長。
ひどい奴ですね。
クソ上司。
給料は俺の精液だ。
自分を庇って死にかけてる人に「起きて働け」ですからね。普通言う?
彼の何が面白いって
天罰が下らなかったことです。
彼の半生を振り返ると、
始祖ユミルの巨人の力を使い、1世代でエルディアを発展させ、周辺国を鏖殺し、臣下の裏切りには始祖ユミルから守ってもらい、おじいちゃんになるまで生き残り、最期には家族に囲まれながら、遺言を残すことに成功し、自分の国の繁栄を信じながら逝きました。
とても族長冥利に尽きる人生というか、きっと権力者としてあらゆる人生の美酒を味わい尽くしたことでしょう。
大往生じゃねぇか。
なんだこれ。
なんか納得いかねー。
…まあ、実際はこんなもんかもしれないですね。
悪い行いをした者には、いつか必ず天罰が下るなんてのは、それこそ都合の良い妄想なのかも。
…物事を善悪で語ると拉致が開かなくなるので
今回はエルディア族長について視点を変えて書きます。
自分も含めて世間では始祖ユミルをずっと苦しめてきた張本人として印象が最悪な彼ですが、ちょっと冷静になるために色々考えます。
まず、始祖ユミルへの待遇なんですが、よくよく見てみると巨人化能力を得てからの始祖ユミルは、奴隷にしては破格の待遇を受けているんですよね。
[第122話 二千年前の君から より]
特に跪くこともせずに、族長の玉座の隣に立つことを許されています。ただの奴隷の1人だった始祖ユミルが。
この時点でのエルディア族内の権力の大きさは
族長>始祖ユミル≧フリッツ家>エルディア族メンバー>奴隷
というのが、俺の見立てです。
何かしら間違ってるかもしれませんが、とにかく始祖ユミルが大出世していることは事実でしょう。
そしてエルディア族長のあのセリフ。
「褒美だ。我の子種をくれてやる」
キレッキレの名セリフですね。
今日日エロ同人誌でもこんなセリフ見ねえよと言われてました。
でもこのセリフ、どういうことかというと、この記事をここまで読めば分かるように
相当な地位と権力をくれてやる。
と言ってるんです。エルディア族長は。
ちゃんとご褒美になってるんですよ。
俺が使えばただの世迷いごとですが、時の権力者が使うとガチの褒美になります。
あれ?
褒美が出世なら単に地位だけ与えればいいんじゃないの?
なんで子どもを孕まないといけないの?
始祖ユミルに惚れたんか?このおっさんは。
そう思った方もいるかもしれません。
俺もそうです。
その事情に何らかの背景を感じますね。
地位というものが家系に加わることとセットだったのか…
そして巨人化の力の自分の子孫への継承を意識したのか…
いまいちよくわかりませんけど。
他にも逃した奴隷が巨人化という超人的な力を身につけて帰ってくる、なんて前代未聞です。
きっと部族内でも相当な混乱があったはずです。
「巨人の力で復讐される」
「彼女に酷いことをしたのは誰だ」
「実はわたしはあなたを哀れに思っていた。だから復讐は見逃してくれ」
…といった混乱。
奴隷だった始祖ユミルに地位を与えるという采配が、もしかしたらその混乱への応答だったかもしれません。
俺はエルディア族長はたまたま始祖ユミルを手に入れたから自分の部族を発展されられたんだ、とばかり思ってましたが、
彼はその
「巨人兵器の運用」
に成功していて、その点が彼の優れたところだったのかもしれません。
何気にすごくね。未知の力なのに。
そして、これは俺の予想なんですが、巨人化能力を得てからの始祖ユミルはめちゃくちゃ豊かに暮らしていたと思います。
下手すりゃその辺のエルディア族メンバーよりも。
巨人の力でバンバン戦争に勝利し続けているので全体的にエルディア族の生活レベルは底上げされていきます。
奴隷時代の暮らしとは比べものにならないくらい衣食住に恵まれていたことでしょう。
戦争で自分が敵兵を殺しまくることに対してどう思っていたかはわかりませんけど。
始祖ユミルの豊かな暮らしは本編ではカットされました。
なぜか?
その理由は、今回の話では始祖ユミルは環境と時代に苦しめられてきた被害者の1人でなければいけないからです。
「ずっと孤独に苦痛と労働を強いられてきた女の子をエレンが助ける」
このストーリーに俺たちは感動するからです。
そんな中で、割といい暮らししてたことを描いても、このストーリー構造の「抑圧」と「解放」のコントラストが弱まるだけです。
でもいい加減落ち着いてきたので、今俺はこんな記事を書いているのです。
本編で直接描いてはいないけど、始祖ユミルの暮らしが改善されていることは状況的に察せられます。
そのことについて指摘するのは、もしかしたら今回の話の感動に水をさす空気の読めない記事かもしれませんね。
でも残念ながら、それでも始祖ユミルは笑顔になりません。
彼女の心は曇ったままです。
族長からしたら不思議です。
地位も富も与えたのにまだ満足しないのか。
こいつは一体何がしたいんだ。
というのが族長の本音かもしれません。
しかし、エルディア族より遥かに豊かな生活を送っている俺たちなら薄々気づいています。
豊かさ=幸福とは限らないと。
そして話は変わって、もうひとつ確認しておきたい点が
エルディア族長だけが特別な悪ではない
というものです。
あの時代に生きるのはエルディア族だけじゃありません。
敵として登場したマーレに限らず、他にも様々な部族が存在しています。
そして奴隷制度がエルディア族特有の文化だったわけではないはずです。
…まあ、それが余計にこの世界観を陰鬱にしているんですけども。
どこへ行ってもこんな調子なのか、と。
巨人の力で世界を支配していたことも、たまたま強力な武器が手に入っただけであってエルディア族長は歴史上いくらでも目にする「ただの支配者」だというのが俺の最終的な印象です。
彼の行いを、完全なる潔癖の立場から悪だと糾弾する者が、果たしてこの世に存在するのだろうか?
俺には疑問です。
なぜなら彼が行ったのはエルディア帝国の樹立です。
帝国の運営です。
彼の国を帝国だと言うのなら、エルディア帝国が行ったのは悪行ばかりではありません。
それが垣間見えるシーンが作中にあります。
[第108話 正論 単行本27巻より]
言語の統一は帝国の功績です。
大多数の人々を一つのグループにしたのが帝国です。
その帝国内で(敵対する国々と比べ)円滑になった人々のネットワークの中で生み出されるテクノロジー、宗教、政治制度、文化、科学、その他様々な「恵み」により人類は豊かさを手に入れました。
マーレの公用語はエルディア語だそうです。
ならばヴィリー・タイバーはエルディア語を用いて諸各国の協力を仰ぎ宣戦布告をしたことになります。
エルディア語の生みの親に対して。
参考までにサピエンス全史(著:ユヴァル・ノア・ハラリ、訳:柴田裕之)という本では帝国という存在をこのように捉えています。その表現が気に入ってるので、抜粋して引用します。
ヨーロッパの諸帝国はあまりにも多様なことをあまりにも大規模に行ったため、帝国についてどれほど好き勝手なことを言おうと、それを裏づける例はいくらでも見つけられる。これらの帝国は死や迫害、不正義を世界に広めた邪悪な怪物だと思ったとする。だとしたら、彼らの犯した罪でたやすく百科事典が一冊埋まるだろう。いや実際は、新しい医療や経済状態の改善、高い安全性をもたらし、被支配民の境遇を改善したのだと主張したいとする。それならば、帝国の功績で別の百科事典が一冊埋まるだろう。
[サピエンス全史・下 文明の構造と人類の幸福 第15章 科学と帝国の融合 より]
…といいつつ、奴隷の立場の方々がその境遇から解放されるのは始祖ユミルが生きた時代から遠い遠い未来の話ですけどね。
人類の発展において、奴隷制度は避けては通れない道だったのか…
そんな大きな問題に眉を潜める夜も、たまにはあってもいいんじゃないでしょうか。
帝国という存在は、俺たちと無関係なものではありません。
現代人のほとんど全てが過去の帝国たちの子孫であり、その遺産を享受しています。
かつて帝国が築きあげた礎の上に現代の文明は成り立っています。
その事情がある以上、俺が気をつけたいこと。
それは、もし自分がエルディア帝国を、エルディア族長の行いを悪だと罵るならば、それと同時に自分は「悪の手先」になりかねない、という事実です。
長文お疲れ様でした。