ジャンが捧げた心臓
[第127話 終末の夜 より]
125話。
地鳴らしが発動し、イェーガー派がマーレ義勇兵を拘束した際、フロックはジャンに言いました。
「なぁジャン」
「お前は憲兵になって内地で快適に暮らしたかったんだろ?」
「そうしろよ。お前は英雄の一人なんだから」
懐かしいですね。初期のジャンが兵団に入った動機はこれでした。ですが時が経ちジャンは変わりました。
126話。
ジャンがイェーガー派を裏切った際には
「もう…あのまま耳を塞いで部屋に籠っていたかった…」
「でも…」
「それじゃあ…骨の燃えカスが俺を許してくれねぇんだよ…」
と言いました。
うんうん、これだよなぁ今のジャンは。
この姿勢が調査兵団入団以降のジャンだよな〜。
骨の燃えカスとはマルコのことです。
トロスト区奪還作戦中に戦死したジャンの友人です。
でも、引きこもったりせず目の前の問題に立ち向かうことが正しい姿勢のように思える一方で、いつまでもマルコに影響されジャンが自らを命の危険に晒し続けるのもなんだかなぁって思ってました。
…というかなんで骨の燃えカスが『許して』くれないんでしょうか?
ジャンはマルコに対して何か後ろめたいことでもしましたっけ?
マルコがジャンを庇って巨人に食われたみたいな。
このように、このセリフを額面通り受け取るのは間違いです。ですのでこの記事ではジャンにとっての『骨の燃えカス』とはどういったものなのか、探っていきます。
ジャンはマルコに背中を押される形で調査兵団を選び、地ならしが発動してパラディ島の安泰がある程度確保されても尚、ジャンの戦いは続くようです。このジャンの物語の顛末が気になっていました。
茨の道をどこまで歩いたらジャンの中のマルコが成仏してくれるのでしょう?
そして127話。
エルディアもマーレもごちゃ混ぜの蠱毒にも似たシチュー会にてジャンはマルコ殺害の首謀者であるライナーから直接マルコの死の真相と遺言を聞くことが出来ました。
「俺たちはまだ話し合ってない」と。
この遺言が地ならし阻止組の、ないしはマーレとエルディアの関係を省みることを助けます。
このシーンを見たとき不意に胸が熱くなり、これまでのジャンについて色々な点が腑に落ちました。
・なぜジャンは調査兵団を選んだのか。
・どうしてジャンはマルコの存在があそこまで無視できないものになったのか。
・なぜ地ならし後も戦うことを選ぶのか。
…
それはきっとマルコにもう一度会いたかったから…
こうは考えられないかと思ったのです。
エレンの巨人駆逐のようにずっと脳内の中心で考え続けていたというよりは、もっと片隅で、きっと本人も無自覚に亡きマルコとの再会を望んでいたのではないでしょうか?
『心の片隅で』って言い方はズルいというか、発案者に有利すぎるんです。
この言い方をされた者は使えそうな記憶を結びつけて(言われてみればそうかも…?)と考えてしまうものだからです。
そんな陳腐な占い結果みたいにならないためにこれから一つずつ確認していきます。
マルコとの再会。
もちろんマルコは既に死んでしまっているので会うことはできません。
でも、不明だった死の真相と遺言を知るということも死者との再会のひとつの形だと考えています。
死人に口なし。
誰かが死ぬとその人から発信される情報が途絶えます。
ハンジさんの心の中にいる死んでしまった仲間たちが地ならしの阻止を支持するように生者の心の中では死者は在り続けますが、それはあくまでも亡くなったその人ではありません。
しかし、生前残した遺言や死の真相というものは事実そのものであり、確かに死者から発信された情報です。
死者との再会というものは霊的な意味ではなく、死者の情報が更新されるという意味でこの記事では使います。
そう表現した方がエモいからです。
ジャンは無自覚にマルコとの再会を望んでいたとはどういうことか?
状況を整理します。
まずジャンは何故マルコとの再会が叶ったのか。
それはジャンがあのシチュー会に居合わせていたからです。
何故ジャンがシチュー会に参加していたのか。
それはハンジさんから誘われたからです。
何故ハンジさんはジャンを誘ったのか。
兵団組織は瓦解しハンジさんとは相反するイェーガー派が島内の実権を握りつつあるこの情勢では、ハンジさんはあらゆる人間が敵に思えたはずです。それでもジャンを選んだのはこれまで調査兵団として一緒に命がけで戦ってきた仲間だからです。
ジャンがハンジさんと戦ってきたのはジャンが調査兵団入団を決意したからです。
このように振り返ってみると、ジャンは大きな選択を迫られた時、結果的に亡きマルコとの再会へと導かれるように選んでいます。
マルコの死体を見つけた時にジャンは真っ先に
「誰か…」
「…誰か…」
「コイツの最期を見た奴は…」
とマルコの死の真相を知りたがっていました。この時から既に。
真相を知ることは無理そうだとは分かっている。でも叶うものなら教えてほしい。
何せ未解決でありますし、そんな思いが127話までずっとジャンの中で燻っていたと俺は考えてます。
無自覚に望んでいたとはこういうことです。
それにマルコとの再会へと選択を悉く正解できたのはジャンの計算によるものだと考えるのは現実的ではありません。
調査兵団で最前線で活動していたらマルコの死の真相に辿り着けるかもしれない、と考えながら日々を過ごしていたと受け取るのは違和感が凄まじいです。それはあくまでサブクエストであり、本命のメインクエストがあるはずです。
マルコとの再会が無自覚であるなら、エレンの巨人駆逐のようにジャンの心の中心にあったものは何なのか?
マルコへの道の第一歩となる所属兵科の選択、このときジャンは何を思って調査兵団を選んだのか?
それはマルコの言葉を思い出したからです。マルコに指揮役に向いてると言われたからです。
しかし、第21話「開門」にて新兵勧誘式が始まる直前にジャンは調査兵団志望理由を
「誰かに説得されて自分の命を懸けているわけじゃない」
とちゃんと釘を刺しています。間違いなく理由の中にマルコが関わってはいるけど、自分の人生における大事な局面で他者に判断を任せているわけじゃない。後々ジャンがハンジさんに言われることになるけど
「私の判断だ」
「君のは判断材料」
に通ずるものがあります。
指揮役に向いてるだけなら憲兵団で指揮を執られては?とも思いますが、巨人vs人類の戦いの最前線にこそ自分の能力は必要だと頭で理解してしまったのでしょう。何せジャンはとても頭が良いですから。
同じく新兵勧誘式直前のジャンの
「そして有能な奴は調査兵団になる責任があるなんて言うつもりも無いからな」
というセリフからこの思考が垣間見える気がします。
臆病者に徹するにはジャンはあまりに賢すぎた。本人はまるで臆病者であることを望んでいたようにも見えます。しかし最終的にジャンは戦うことを選びました。
巨人の恐怖を思い出しながら。
心が悲鳴を上げながら。
マルコの言葉にはそんなジャンを調査兵団に導くだけの説得力があります。その説得力とは如何なるものか考察します。
まずはそのセリフを挙げます。
[第18話 今、何をすべきか より]
「怒らずに聞いてほしいんだけど…」
「ジャンは…」
「強い人ではないから」
「弱い人の気持ちがよく理解できる」
「それでいて現状を正しく認識することに長けているから」
「今 何をすべきかが明確にわかるだろ?」
「まぁ…僕もそうだし大半の人間は弱いと言えるけどさ…」
「それと同じ目線から放たれた指示なら」
「どんなに困難であっても切実に届くと思うんだ」
大変理路整然とした明快な言葉ですが、これに説得力があるのは中身の理屈が正しいからだけではありません。それだけではジャンが釘を刺した通り『誰かに説得された』ことになります。
ジャンは自分でこの言葉を『見つけた』のです。自らの思考の末にこのマルコとの記憶に辿り着いたことがこの回想の前のジャンのモノローグで描かれています。
ただ言われただけでなく、自分の考えとマルコの主張が結びついたのです。
これが説得力の正体です。他にもまだありますけど。
これが「その意見は正しいと思うけど自分は腑に落ちない…でもこの人が言うなら」という姿勢との決定的かつ本質的な違いです。
そんな不透明な状態で他人の意見を採用して、あまつさえ「私はこの人を信じてるから…」とか言ってたら虫唾が走ります。それは信じてるのではなく、ただ思考をサボって他人に依存してるだけです。
この体験のおかげで調査兵団入団はジャンの判断でありマルコのは判断材料、と言えるのです。
それではジャンの思考とマルコの言葉はどのように結びついたのでしょう。
トロスト区奪還作戦で戦死した兵士たちの遺体を火葬してる最中のことです。巨人に襲撃される惨状を身をもって思い知り、兵士を選んだことを後悔しながら、ジャンの中のエレンはそれでも巨人と戦う意義を説いています。
「お前は戦術の発達を放棄してまで」
「大人しく巨人の飯になりたいのか?」
それは正しい意見に思えますが、正しさだけでは人は動きません。ジャンもこのセリフと対立する言葉を探します。
[第18話 今、何をすべきか]
「てめぇに教えてもらわなくてもわかってんだよ」
「戦わなきゃいけねぇってことぐらい…」
「でも…わかっていてもてめぇみたいな馬鹿にはなれねぇ…」
「誰しもお前みたいに…」
「強くないんだ…」
ここです。
この「自分は強くない」という思考から続くマルコの言葉の「強い人ではないから」に繋がるんです。
ここがジャンの思考とマルコの言葉の接合部です。
俺は強くない、と考えた矢先
強くない人だからこそ戦いには必要なんだと過去の思い出に諭されたらもう無視はできません。
強くないというワードから関連してマルコの言葉を思い出すというプロセスはとてもリアル、というか、人が特定の記憶を思い出すという現象はどのように成立するかという作者の鋭い洞察が伺えます。
そしてその洞察はドラマに組み込まれます。
「強い人ではないから」のコマの一つ前ではジャンの目線のカットがコマ割りされています。これはジャン本人もまさかこのタイミングでマルコの言葉を思い出すとは思わなかった、というビックリした顔だと思います。
日頃の洞察で得たものを作品の中にここまで鮮やかに落とし込む、というのは作者の漫画家としての技の妙、というか…プロだなって感動しました。
このマンガを読んで意識するようになったんですが確かに、自分の意図しないタイミングで、ある事をきっかけに思い出が蘇ることってありますよね。
他にもプロの描く漫画として注目すべき点。
それは他でもないマルコが言うことだから説得力を持つ、という点です。
マルコはまず仲間たちから指揮役に向いてると評価されます。加えてそれを評価しているのはエレン、サシャ、コニー、そしてジャンのいわゆる104期生のいつメンです。
[第18話 今、何をすべきか より]
ここで油断したら見落としそうになるのが、この場の彼ら全員が上位10位以内で訓練兵を卒業するエリート集団だという点です。そのエリートたちが評するのだからマルコが指揮役に向いてるという評価にはこれ以上ない信頼があります。
余談ですが、一瞬「メンバーの成績偏りすぎじゃね?」って思ったんですが、現実でも学校とかでは自然に成績の似通った者たちでグループを作ってたりしますよね。ならばエリートたちが集まって打ち解けてるのは問題ないし、むしろどこか生々しく感じました。
そして、『その』マルコが指揮役に向いてると評価するのがジャン。という構図になっています、このシーンは。
マルコの言葉には、このような下ごしらえがあったのです。
これが説得力その2です。
ストーリーを引っ張る必要のあるこのマルコの言葉。ジャンを、というかある1人の人間の人生を動かすだけの言葉というデリケートなものを扱う際に、作者はこれだけの準備をすべきだと判断したのだと思います。
すげぇ!
俺自身、初見ではサラッと流したこの訓練後のシーンですがマルコの言葉を考察する際に注意深く読み返して、この仕掛けを見つけたときは驚きました。本当にこの漫画は底が見えない…
加えてもう一点。
実はマルコはエレンたちが去ってから、ジャンと2人きりになってから
「僕はジャンの方が指揮役に向いてると思うな」
と話し始めています。2人きりになるのは一つ前のページで確認できます。
[第18話 今、何をすべきか より]
おそらくこれは、気の利くマルコのことだから、あの場で自分の意見を言えばジャンが悪目立ちすることを避ける意味があったと思います。まあ単純に言うタイミングなかったっぽいですけど。タイミングがあったとしてもマルコなら言わない気がします。
そのせいで以降の会話はジャンとマルコしか知りません。
エレンたちはジャンがマルコに評価されたこともその理由も知りません。
そしてマルコは死んでしまいました。
この世でこの会話を覚えているのはジャン1人です。
もしジャンがこの会話を忘れて憲兵を選んだら、この会話の中のマルコの思いは消えてしまう。
ジャンが調査兵団を決意するとき、そんな意味も考えていた、かもしれません。
まとめると、マルコの言葉の説得力というものには
・まず中身がいい。
・ジャンが思考の末この言葉と結びついた。
・エリートたちが評価するマルコに評価された。
・会話を知ってるのは最早ジャンだけ。
…という二郎ラーメンもビックリの全乗せマシマシの意味が込められていたのです。
それらのおかけで臆病者でいたかったジャンの心は拮抗する巨人の恐怖を僅かに上回り戦うことを選びました。
進撃の巨人という作品は『何かを選択すること』がテーマだと誰かが言ってましたが、その凄みの一角を見た気がします。
そしてその選択の結果、後々ジャンはマルコに再会することができた…
まるでマルコの遺志に導かれるように。
実際、マルコの死の真相というのはとても悲惨なものでした。
それを聞かされてジャンは怒りの感情でもっと苦しむことになった。思わずライナーの顔面をグチャグチャにしてしまうほどに。
でも、それでも
「マルコはどうやって死んだかわからない」というモヤモヤから生じる積年の苦しみだけからは解放されたはずです。
それはジャンの物語の中での到達点のひとつであり、時を越えて友人に遺言が届くというマルコ(もしくはジャンと読者の心の中のマルコ)への鎮魂歌であると同時に、自分の意思で茨の道を選んだジャンに対するある種の報酬であると考えてます。
「地獄を選び真実に辿り着く」という点でエレンの地下室と共通してますね。実は違う車線で似たような道を走っていたのがジャンでした。
真実を求める意思こそ、その名の通り『調査』兵団の本懐であり、結果的にその矜恃を則ったジャンもまた調査兵だったのです。
こんなとんでもないドラマを見せつけられて、俺は一体どうすればいいんですか?(汗)
受け取ったこのクソデカ感情を腹に抱えたままこれから暮らしていかにゃならんというのは
…大変光栄に思いますε-(´∀`; )
そしてマルコの言葉は実際正しかったと後々のストーリーで証明しています。
それは単行本4巻から遥か飛んで20巻。
ウォール・マリア最終奪還作戦にて、超大型巨人との戦闘時にジャンの強みが輝きます。
それは挫けたアルミンをジャンが支えたところです。戦況が悪化したときアルミンは堪らずジャンに指揮役を代わってもらおうとします。
[第79話 完全試合 より]
始めはジャンも驚いたけど、決して役目を投げ出したアルミンを軽蔑したり薄っぺらい叱咤激励をしたり、狼狽え取り乱したりはしませんでした。
それはマルコの言う通りジャンは
「弱い人の気持ちがよく理解できる」からです。人は時に堪らず弱音を吐いてしまうのことを知っているからです。ジャンにとってはアルミンの提案は全然許容範囲内なんです。
だからすぐ巨人エレンにメンバー全員を乗せて川に移動して身を隠す指示が出来たし
「アルミン…俺は状況は読めるが」
「この場を打開できるような策は何も浮かばねぇ…」
「最終的にはお前に頼るからな」
とめちゃめちゃ冷静かつ的確に状況判断することができたのです。
アルミンが打開策を思いつくまでの中継ぎという一見地味で作品的に盛り上がらない場面ですが、とても重要です。もしあの場にジャンがいなかったらアルミンは、エレンたちはどうなってたんでしょう?
マルコはジャンを弱い人間のことを理解できる人だと言ってましたが、調査兵団に入ってからその能力は発揮されるものなんだろうか?って思ってました。
だって、調査兵団を選ぶ時点でもうそれだけでめっちゃ根性あるのでジャンの周りにいるのは選りすぐりの「強い人」たちだらけなんじゃないか?と思ったからです。
でもそうじゃなかった。
実際はアルミンのように優秀な人間でも、時には挫けて弱ってしまうこともある。
いや、もしかしたら本当は「強い人」なんかいなくて、みんな弱い心を隠したり誤魔化しながら強がっているのかもしれない。
でも状況が変わればそんな無理も通用しなくなるというのは各々の日々を過ごす多くの人が共感してくれると思います。
普段頑張ってる人、みんなを引っ張っている人、頼りにされてる人が挫折して苦しむとき、ジャンはその人の抱える荷物を少し下ろすことができます。
マルコのいう「弱い人間」とは「時に弱ってしまう人間」も含まれるのではないかと思いました。
ジャンは調査兵となり、人類の為には自分の能力が必要だと判断して最前線で命懸けで戦うことを選びました。理屈の上ではジャンは人類の為に働いているように見えます。
しかし、その原動力は何でしょう?
ジャンは人類の衰退を憂う愛国心を以って戦っているのでしょうか?それは違います。
それはマルコの思い出をきっかけに、ジャンは自分の『生き方』を見つけた。
骨の燃えカスにがっかりされないような『生き方』を。
そのように俺は見えます。
死にたいから調査兵団に入って命を危険に晒すんじゃないです。
ジャンの見つけた『生き方』とは偶々、命を懸けねばならないようなものだった。
強く言えば、ジャンは命懸けで生きてるんです。
死なないことと、生きるということ。
生きてる状態と、死んでない状態。
一見同じ意味に思えるこのペアの間にはどのような摩擦と矛盾があるのでしょうか。
兵団組織共通の敬礼。右拳を胸にあてるポーズにはキース教官曰く「公に心臓を捧げる決意」を示す意味があるそうです。
この手の慣習は徐々に意味が抜け落ち形骸化することがよくありますが、ジャンは一体何に心臓を捧げたのか。
調査兵団入団を決意したあの瞬間、ジャンは誰とも知れない骨の燃えカスを右手でギュッと握りしめた時、自然とその手は自分の心臓の近くにあります。
[第18話 今、何をすべきか より]
ジャンは、骨の燃えカスに、亡きマルコの言葉に、そして自分で見つけた『生き方』に心臓を捧げたのだ。
というのが、本記事の終着点です。
そして何故、骨の燃えカスはジャンを許してくれないのか?
もう十分に戦ったんじゃないのか?
え?もっと命を懸けないといけないのか?
それは友人を奪い去ったこの世の理不尽との因縁から生じる呪いといったような後ろめたい絶望的な意味であるとは、俺は思えないのです。
ジャンの心に在り続ける骨の燃えカスとはマルコのことではあるけど、本記事でも慎重に取り扱ったようにそれはマルコ本人ではありません。
では『骨の燃えカス』とは一体何者なのか?
その正体は『亡き友人との思い出』という帳の奥に隠された自分自身である。
見つけた『生き方』を望む自分である。
こう思えてならないのです。
だから新兵勧誘式にて調査兵団とは違う道を選べる最後の局面で、巨人への恐怖と対立してジャンが葛藤するのは、マルコのことではなく、自分との向き合い方なんじゃないでしょうか。
「頼むから…これ以上」
「自分のことを嫌いにさせないでくれ…」
というように。
この時からジャンは「自分を嫌いにならずに済むか」という問題に巨人への恐怖に匹敵するほどの意味を見出しています。
これも『骨の燃えカス』がジャン自身でもあるならば、そんな自分が脳内会議にて発言権を得たためだと考えられます。
このように考えると、骨の燃えカスはジャンのことをおそらく一生、本当に死ぬまで許してはくれません。
それはネガティブな意味ではなく、それが自分の人生を生きるというものだから。
自分とは、本当の意味で一生付き合っていくのだから。
ならば、なるべくなら良い付き合いをしてみたいものです。
世界は残酷だけれど、そんな中で見つけたジャンの『生き方』を俺は祝福したくなります。
死にたくはないけど、生きてもみたいのです。
この世に生まれたのだから。
すべてが片付いてセントラルの一等地で昼間から上等な酒をかっくらう際には、ジャンには是非とも友人の思い出と共に乾杯してほしいものです。
長文お疲れ様でした。
エレンの自由とは?
[単行本22巻 表紙 より]
今日は3/30。
エレン・イェーガーの誕生日のようです。
エレン!お誕生日おめでとう!!
Twitterでめっちゃ早生まれなのがエレンっぽいって言ってる方がいて笑いました。
なので今日はエレンについて何か書こうと思います。
エレンという人格を象徴するキーワードは主に2つあって、それは
「自由」と「やさしさ」であると俺は考えています。
以前、当ブログでは「パラディ島のやさしい悪魔」https://shisyamosk.hatenablog.com/entry/2019/12/05/113510にて、その内の「やさしさ」について触れました。
だから今回は彼の「自由」について考えていこうと思います。
エレンの求める自由とはなんなのか?
エレンが自由を意識するときは多くの場合、その自由を妨げる敵が登場します。
幼少期、アルミンに影響を受けて壁の外を探検したいと思えば、それを妨げる巨人が敵であり…
誘拐されたミカサを助けたいと思えば、ミカサを攫った誘拐犯がそれを阻む敵、ということになります。
以前の「パラディ島のやさしい悪魔」https://shisyamosk.hatenablog.com/entry/2019/12/05/113510ではこの事件はエレンの自由とは無関係だと書きました。それはエレンの命が脅かされるわけではないという意味で書きましたが、エレンの
「他人から自由を奪われるくらいなら」
「オレはそいつから自由を奪う」
というセリフの他人から奪われる自由を「女の子を助けたいのに邪魔される」という意味だと受け取ると、確かにこの事件はエレンの自由と関係があることになります。
でもそれでは余りに自分勝手なので腑に落ちません。余りに自分勝手なのが正解かもしれませんけどね。
念願の海に辿り着いた際には、海の向こうにいるエルディア人を虐げる敵を意識しています。
たしか作者がなにかの取材で、アルミンは好奇心から海を見たいと思っているのに対してエレンは海を見ることによる自由を求めていて海である必要はない。そう答えていました。
実際に作中でもエレンは単行本4巻、第14話にて
「炎の水でも氷の大地でも何でもいい」
「それを見た者は」
「この世で一番の自由を手に入れたものだ」
ってはっきり言ってます。
確かにエレンは海に辿り着いたけど、その更に向こうに自由を妨げる敵がいると知ってしまったら、それじゃあ自由を手に入れたことにはなりません。
きっとエレンは海の向こうにある、更に巨大な見えない壁を感じたのではないでしょうか。
これまでを振り返るとエレンの求める自由とは、壁の外を探検したい…女の子を助けたいと望んだとき、それを妨げる敵がいない状態を指すような気がします。
つまりエレンの自由とは、それを説明するときに自由を妨げる敵の存在を必要とします。
そういう意味で、とてもネガティブな定義です。
「自由を妨げる敵」というマイナスの存在が
「いない」というマイナスの状態を掛けてプラスにしているような。
では、ポジティブな意味での自由とはなんでしょう?
他作品で恐縮ですが『映像研には手を出すな!』という漫画があります。
女子高生が同好会活動でアニメを制作する話です。その中のアニメーターの浅草みどりは
「やりたいことを、やりたいようにやるのだ!!」
と言ってます。彼女たちは己のやりたいことを思う存分打ち込んでいます。自由を謳歌しています。
これが俺が想像する自由に限りなく近い気がします。最終的にエレンはこんな状態を望んでいる、のかもしれない。
しかし、エレンの自由がネガティブな定義になるのは無理もないです。生まれてから今日までずっとずっーーと己の自由を妨げる敵が存在し続けているのだから。だからまずはその敵を滅ぼさなくてはいけない。エレンの物語は終始そんな戦いに追われています。
自由を謳歌するという意味では、エレンはまだスタート地点に立ててすらいません。
エレンの自由について考えていると、エレンの父グリシャ・イェーガーのことを思い出します。
グリシャは妹に飛行船を見せたくて収容区を無許可で外出しました。
「どうして…ダメなんだ…」
「飛行船が見たかった…だけなのに」
と言ってます。
なぜ妹が殺されたか、なぜダメかと言えば普通に外出が無許可だったからだと思います。
でも情勢的に外出許可なんて滅多に降りないだろうとは察せますが。そのルールを軽んじたのはまだ子どもだったから。
でも、外出に許可がいるような社会がそもそもおかしい。これは「自分の望むものを妨げる敵がいない状態を理想とする」という価値観を持つエレンも同意するはずです。
歴史的な事情についても古代エルディアの行いを悪とするなら、今マーレがやってることは古代エルディアのそのまんまじゃないかと思ってるので、マーレのエルディアを虐げる大義名分が成立してるとは思えません。
「いじめは良くないと言ってるいじめっ子が過去のいじめっ子をいじめてる」みたいな状況なので。
ウォール・マリア陥落時、グリシャはレイス家の隠れ家へ赴き始祖の巨人を奪うべくレイス家の虐殺します。しかしその途中で決意が揺らいだときは、その場面の記憶を覗いていたエレンが進撃の巨人の未来の記憶を見せる能力を応用してグリシャに発破をかけます。
犬に食われた妹に報いるために進み続けろと。
ここのエレンは迫力がすごくてこわいですけど、言葉を変えればグリシャがあの日、妹を連れて壁の外に出たことを肯定してあげてるんです。
壁の外を夢見たこと自体は絶対に悪いことじゃない。
エレンは子どもの頃のグリシャの味方になってるんです。
壁の外を夢見て、実際にウォール・マリアを奪還してパラディ島を無垢の巨人の檻から解放したエレンだからこそ子どもの頃のグリシャの味方になることができます。
エレンに過去の自分の行いを肯定してもらうことでグリシャはちょっとだけ救われているんじゃないでしょうか?
俺だって、過去の自分の選択は間違ってなんかないと信頼する者に言われたら嬉しいですもん。
[121話 未来の記憶 より]
そして脱線しますが、グリシャがレイス家虐殺を決意して巨人化する際、メスで掌に傷を入れているんですが、その横に妹フェイを連れてるコマが挟まってます。その時、フェイの手を握っているのは右手であり、巨人化する時に傷を入れる掌も右手です。
グリシャはあの日フェイの手を握った右手に真っ正面から向き合って巨人化しているのです。フェイのコマがあるのは、巨人化の瞬間にフェイのことを思い出したからです。
超名シーンですね。
最後にメタ的な視点になるのですが、作者はエレンのことを「ストーリーの奴隷」だと言ってます。
奴隷であることが許せないエレンが、彼の世界の創造主たる作者に奴隷呼ばわりされるのはなんとも悪い冗談ですが、もしそうであるならばマンガとしての進撃の巨人のストーリーが完結することで初めてエレンは「ストーリーの奴隷」から解放されて、真の意味での自由を手にするのかなと思いました。
ストーリーの完結そのものが主人公にとっての祝福であるという構図はなかなかイカしてますね。
エレン、誕生日おめでとう!
かっこいいぜその生き様!
長文お疲れ様でした。
無敵の始祖を仕留めた凶器
どうも、始祖ユミルのストーカーです。
今回も122話の話です。
俺は何回122話の記事を書くんだ??
始祖ユミルは何故死んだのか?
本記事の主題はこの一言に尽きます。
始祖ユミルの死亡シーン。
初見はスルーしてたんですが、だんだん気になってきました。
え?
なんで死んだの?
あらすじを振り返ると、家臣の裏切り者がエルディア族長に向けて投げた槍を始祖ユミルが庇い、そこで息絶えました。
巨人の修復能力があれば槍に刺されてもすぐ傷口は塞がるはずです。
え?
なんで死んだの?
何かしら理由はあるはず。
考えすぎ、ではない。
何故ならエルディア族長の発言。
「お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる」
…と、わざわざ指摘しています。
これは、最強の始祖の巨人が槍一本でやられてしまった、という事実が本編のあらすじに関わってくることを意味してると考えています。
死因は『説明は』されていません。
物語の読みどころですね。
始祖ユミルが何故死を選んだのか、それはあの状況を注意深く確認することで見えてきます。
今回は始祖ユミルの死因の話です。
これまで書いてきた記事は、突然大量に描写された始祖ユミルの生きた時代背景について事実確認をしていくような内容でした。
ですが今回は個人的な解釈が多分に含まれます。十人十色の解釈があることは承知していますが、俺が唯一気をつけられることは自分の解釈にひたすら説得力を持たせることだけです。
巨人能力者は槍に刺されたぐらいでは死にません。しかし、劇中ファルコが発言していましたが巨人化能力は本人の気持ち、生きるという強い意志に左右されるようです。
ならば始祖ユミルは槍に刺された際に、何かしらで心を折られ生きる意志を失ったため死亡した、と言えます。
物理的な死因は槍ですが、そこにさらにもう一押し、始祖ユミルにトドメを刺したものは何でしょう?
思うにそれはエルディア族長の言葉。
どういうことか、一連の4pを確認しましょう。
1p目。
2p目。
3p目。
4p目。
[122話 二千年前の君から より]
これはマンガですので、キャラクターの内面はマンガ的技法で表現されています。
注意してもらいたいのがページ位置です。
見開きで偶数ページは右側。
奇数ページは左側です。
そしてページをめくる際は奇数ページの最後のコマが次のページへと何かしらの流れを作っていたりします。
ページをめくるとあ!っと驚かせたりするのを『めくり』と言ったりします。
この4pはこのマンガ的な仕様を利用して演出を組んでいます。
まず1p目。
始祖ユミルが槍にブッ刺されて倒れます。
そして2p目。
ここが個人的に一番注目してて、というのもこのページだけやたら贅沢にコマを切ってるからです。
122話のあらすじを思い出しましょう。
始祖ユミルの半生、古代エルディアの軌跡、始祖の巨人の覚醒、始祖ユミルの死、エルディア族長の遺言、エレンのあすなろ抱き、そして地ならしの発動。
これだけの物量を『たった』45pに収めなくてはなりません。全く無駄を許さないネーム構成を求められる中で、このページだけ顔のアップが連続しています。
ということは、この顔アップのページにも上記のあらすじに匹敵する価値がある、と作者の諌山先生は判断されている…こう考えることができます。
本当はどうなのか分からないけど、少なくとも俺にはこの作品の過去の様々な高品質な演出から、それだけの信頼があります。
一見すると無駄なシーンに見えます。
危うく読み飛ばしたり、さっさと次のページをめくってしまうようなシーンです。
しかし、4p目にはすでに始祖ユミルは死を選んでしまってるので、トドメを刺した瞬間は3p目にあり、そして2p目は3p目と『めくり』の関係にあります。
…というのが、始祖ユミルの死という事件をマンガ的技法の視点から捉えたものです。
この視点に立つと何が見えてくるか。
それは始祖ユミルの感情の起伏です。
もちろん俺は彼女の内面は分かりませんし、始祖ユミル以外始祖ユミルじゃないのですが、2p目と3p目の流れが始祖ユミルの感情の起伏を表していると読んでますのでそれをお伝えします。言葉ではなくコマの配置で表現しているのです。
まず2p、1コマ目。
倒れた始祖ユミルの視点から族長、マリア、ローゼ、シーナの三人娘を見上げています。
娘たちは泣いています。
2コマ目。
倒れた始祖ユミル。
…はい、一コマずつチェックしていきます。
3コマ目で1コマと同じアングルで族長の顔にアップしています。イコールこのアングルは始祖ユミルの視点なのでこの人は族長のリアクションを気にしています。
族長の細やかな表現が確認でき、驚き、悲しみ、動揺、様々な表情をしている『ように』見えます。
そして4、5コマで始祖ユミルの顔が連続でアップします。
この執拗な顔アップに意味を持たせるなら…
読者にどんな印象を抱いて欲しいのか…
無言を貫くあのシーンに、どうしても言葉を乗せるなら、それは始祖ユミルの『期待』を表そうとしているのではないでしょうか。
族長にも、周りの娘たちのように私のために泣いて欲しい。
槍を庇ったことを評価して欲しい。
傷口を労って欲しい。
娘たちと同様に顔を歪める族長を見て、始祖ユミルは、ちょっとだけ期待してしまった。
族長がどんな人か知っているけど。
自分に何をしてきた人なのか知っているけど。
それでもつい気になってしまう。
一緒に過ごしてきた13年の歳月の間に、何か変化があったのだろうか?
私は…族長の何だろう?
「何をしておる」
「起きよ」
「お前が槍ごときで死なぬことはわかっておる」
「起きて働け」
「お前はそのために生まれてきたのだ」
「我が『奴隷』ユミルよ」
…これが族長の答えでした。
エルディアのために巨人の力を捧げ、3人娘を産んだ始祖ユミルは結局ただの奴隷でした。
敵対するマーレを鏖殺し、あらゆる攻撃は立ち所に治してしまう。
エレンたち、そして後世の世界中の人々を散々苦しめている無敵の巨人のルーツは、こんな簡単な言葉で仕留められました。
もし、族長に少しでも始祖ユミルに情がわいていたなら。
始祖ユミルのささやかな期待に応えることができたなら。
何かが違っていたのかもしれない。
思い出すのがクルーガーの遺言。
「壁の中で人を愛せ」
それが出来なければ繰り返すだけだ。
同じ歴史を。
同じ過ちを。
何度も。
あの予言じみた遺言。
まるで未来を見てきたかのような。
始祖ユミルの死、という事件が今後物語に関わってくるなら、この辺りのセリフと合流するんじゃないかなと思っています。
そんなヒマあるのか分からないけど。
連載スケジュール的に。
この考察では、始祖ユミルは族長に対して実はこっそり期待していた。と、決めつけていますが、これはこの前提に立つとこの辺りの物語がきれいに説明できる、というものです。
もし、始祖ユミルが族長に対して特になんとも思っていないのなら。
自らを顧みず槍に飛び込めたのは何ででしょう?
義務だから?
立場だから?
命令だから?
そんな理由だけで犠牲になってしまえるものなのだろうか?(反語)
と思ってしまいました。
また死後、始祖ユミルは座標砂漠にて相変わらず王家の血族に服従し続けていました。王家の望むまま、巨人継承者の望むまま、あの世で巨人を作り続けています。さながら死んだ子どもが父母供養のために賽の河原で石を積み続けるように。
そこまでする原動力な何だろう?
以前の記事で奴隷という性分の話をしましたが、自分の中でだんだんそれだけでは納得できなくなってきました。
勝手に。
長文お疲れ様でした。
2020年も進撃する
🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭
新年、明けましておめでとう御座います。
今年も当ブログをよろしくお願いします。
🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭🐭
今回はちょっとした挨拶と、当ブログの今年の予定です。
昨年は進撃の巨人が年内に完結すると言われとても賑わい、そしてハラハラしました。
公式では進撃の巨人のラストを出来るだけ多くの方と迎えるために単行本29巻分期間限定で無料公開されたりもしました。
ストーリーも佳境に入り、「完結」を意識することも多くなりました。
進撃の巨人が完結するのです。
2020年内に。
大好きな作品が無事円満のラストを迎えることを祈りつつ、色々複雑ですね。
月一の楽しみが無くなってしまうことが惜しかったり、早くラストが見たかったり、結局第一話のミカサの「いってらっしゃいエレン」ってなんなの?みたいな。
そして記事を書く者として気になるのが、完結してしまったら、ファンが離れたりしないか。
誰かの考察記事が読みたい人が減ってしまうんじゃないか。
という不安です。
過去の完結した素晴らしい作品は未だにファンたちは情熱をもって解説したりしています。
あ、エヴァは新劇が完結してない??
なんか今年やるみたいですね。
きっと進撃の巨人も同様にいつまでも語り継がれるはずです。
なぜなら少なくとも俺は記事を書き続けることが確定しているから。
完結した後も。
…というか、作品の感想って完結してからが本番でしょ!!!!!
最終話の最後のページまで読んで初めて作品の全容があらわになります。
今まではむしろ一冊の本を途中まで読んだ時点での感想を書いていたような状況です。
進撃の巨人の考察記事はこれからも気長に更新し続けていきますので、これからもどうぞ一緒に進撃の巨人を楽しみましょう。
…書きたいネタなら無限にありますから。
逃げない奴隷と見えない鎖
先日、「始祖ユミルの舌は無事か?」という記事を投稿しました。
エルディア族が捕らえた奴隷の舌を切り取るシーンがあるので奴隷である始祖ユミルも同様に舌を切られているのではないか?という内容です。
予想以上にこの記事の反応が大きく、とても嬉しく思います。
そのコメントの中に以下のような疑問が寄せられていたので、今回はこの疑問について考えていきます。
・劣悪な環境下にも関わらず、なぜ奴隷は逃げないのか?
・逃げられないようにしておくのなら、鎖で繋いでおいた方がいいのではないのか?
まず、一つ目。
なぜ奴隷は逃げないのか?
強制労働で酷使され、舌を切られ、目玉をくり抜くと脅されて尚、奴隷はエルディア族の村を抜け出して逃げようとはしません。
この態度に疑問を持たれた方がいたようです。
正直、俺は何も疑問に感じません。
彼らは逃げたくても逃げられないのです。
その理由の一つが
「引き返せない楔」という考え方です。
これは俺たちの社会の変化、そして心の有様を表したもので、俺たちは現在よりひとつ前時代の暮らしに戻ることはできない、というものです。
俺はこの考え方を「ぼくたちの洗脳社会」著・岡田斗司夫 という本で学びました。
Webで全編無料公開されているので興味があれば是非一読ください。
以下、そのリンクです。
http://blog.freeex.jp/archives/cat_10026140.html
「こんな村、こっそり抜け出しちゃおっか?」
とかなんとか言って、仮にエルディア族から逃げたとしても彼ら奴隷にはどんな生活が待っているでしょうか?
財産を何一つ持たない彼らはその身一つで森の中に投げ出されます。
彼らに森の中で生きていく術は無い、と断言できます。
なぜなら彼らは農耕民族だからです。
農耕民族とは山や森での狩猟採集によるその日暮らしの生活を捨てて農業に専念することを選んだ人々です。
農業生活にシフトする際に、世代を経る度に狩猟採集時代の知恵…どの季節にどんな食糧があるか、危険な猛獣の種類とその縄張り、毒キノコの種類といった知識が失われていきます。
そんな状態で山や森で暮らしていくことは不可能です。
ではなぜ、彼らが農耕民族だとわかるのか。
それはエルディア族といった豪族が存在するからです。
豪族とは農耕技術とセットで登場します。
農業によって人々の主食が木の実や果物から小麦、稲といった穀物にシフトした結果、これらの穀物は長期保存に向いていたため食糧を貯蓄する文化が自然と発生します。
そして貯蓄している大量の食糧を他民族から奪ったりする集団が現れます。それが豪族です。
つまり、狩猟採集民族がその日暮らしの財産を持たない狩猟採集民族を襲っても意味がないのです。
故にエルディア族は農業技術が確立されていないと存在が成立しません。
同様に奴隷という立場も、仕事は主に農業なので農業の確立により発生したものです。
つまり、始祖ユミルがなぜあのような仕打ちを受けるのかと言えば、人類が小麦や稲に取り憑かれてしまったから、とも言えます。
そして冒頭で触れた「引き返せない楔」という概念。
農民生活が染みついた者が一時代前の狩猟採集民族として生きていくということがいかに難しいか。
いかにやりたがらないか。
それは現代人の我々に置き換えると実感できます。
果たして俺たちは、慣れ親しんだインターネットサービスや数々の娯楽産業、ITサービスを全てかなぐり捨てて、「裸足のゲン」や「この世界の片隅に」で見たような軍国主義、またはファシズムの世の中を生きていけるのか。また、そのような生き方を社会の流れが選択するのか。
少なくとも俺は無理です。
だって進撃の巨人の続きが気になるから。
そういった前時代の生活に戻ることのしんどさが彼らが奴隷から抜け出して逃げる事への精神的なブレーキになると考えています。
逃げ出すよりかは、始祖ユミルの時のように奴隷の中でも立場の弱い者を犠牲にして何とかやり過ごす方が奴隷にとっての賢い生き方なのです。
また具体的な要因としてエルディア族を抜け出したとしても逃げた先の森や山は違う豪族の領地である可能性が高いです。
逃げた先で違う豪族に捕まってしまっては元の子もありません。
豪族Aの奴隷から豪族Bの奴隷になるのがオチです。
でも実際の奴隷は「引き返せない楔」がどうのとかは考えないでしょう。
しかし、それでも彼らは奴隷として生きていくことしか知りません。主人に仕えて働いてご飯をもらう以外の生き方が分からないのです。
これを122話はとても顕著に表現していると思います。
始祖ユミルは村を追われた先の森で始祖の巨人の力に目覚めます。これまでの鬱屈した雰囲気から一転、見開きでズバーンと始祖の巨人が開放され、これから始祖ユミルの反撃が始まるのだ!と思いました。
[122話 二千年前の君から より]
しかし次のページを開くと時間が飛び、やっぱり始祖ユミルはエルディア族に跪いて、エルディア族のために働いています。
[122話 二千年前の君から より]
この展開に肩透かしを喰らい、いや働くんかい!と読みながらツッコんだものです。
これが奴隷なのです。
人智を超える力を手にしても尚、開放されないのが奴隷の性分なのです。
また、122話の始祖ユミルの回想ではセリフがほとんどありません。
あるのはエルディア族長の言葉だけです。
この演出には本当に鳥肌が立ちました。
なぜなら、これが奴隷から見た世界だからです。
奴隷の中には主人の命令しか存在しません。
それを見事に演出し、読者の俺たちも奴隷から見た世界を仮想体験したのです。
一人で生きていく能力の無さと主人に仕える以外頭にない想像力の無さ、この二つの要因が奴隷を奴隷たらしめるものです。
奴隷を縛る「見えない鎖」なのです。
本記事のタイトルの見えない鎖とは、こういうことです。
そして二つ目の疑問。
・逃げられないようにしておくのなら、鎖で繋いでおいた方がいいのではないのか?
一応これまでに説明した「見えない鎖」が奴隷が逃げられない理由なのですが、ひとつ気になったのが、「鎖」。
鎖は鉄製です。
当時のエルディア族の製鉄技術がどれほどのものか疑問でした。
奴隷に鉄製の鎖はもったいないです。
でもこれは問題の本質ではなく、材質は何でもいいです。
縄とかでいいです。
よく見ると122話の冒頭で捕らえられている人たちは鎖ではなく縄で縛られています。
[122話 二千年前の君から]
縄で縛っておかない理由は、そんなことしなくても逃げられない理由がたくさんあるからと、あとは普通に労働に差し支えるからでしょう。
ここからは脱線して、エルディア族に製鉄技術があるのかどうか考えてみます。
始祖ユミルが生きた時代が実際の世界史のどの辺りに相当するのかは判断が難しいです。
ヒントになるのは敵国のマーレです。
回想シーンをよく見てみるとマーレは歩兵に至るまで兵士全員が鉄製の装備で覆われています。
[122話 二千年前の君から より]
これはつまり、マーレには当時すでに鉄器を量産するだけの製鉄技術が確立されていることを意味しています。
現在分かっている中で世界で最速で製鉄技術を確立したのは紀元前15世紀頃のヒッタイト帝国です。
ヒッタイトは他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服しました。
マーレの状況はヒッタイトに似ています。
マーレは既に強大な帝国でしたが、これはいち早く製鉄技術を身につけたから周辺の青銅器文化圏を支配していくことができた、というのが俺の考察です。よく見ると始祖ユミルが暴れる前のエルディア族は誰も鉄製の装備を身につけていません。あって装飾くらいです。
[122話 二千年前の君から より]
ですので、始祖ユミルが生きた時代の状況は史実では古くても紀元前15世紀辺りだと言えます。
エルディア族もいずれマーレに支配される運命にある青銅器文化圏の一部に過ぎませんでしたが、始祖ユミルの巨人の力という「ズル」で逆にマーレを打ち負かし、マーレの製鉄技術をそのまま吸収していった、というのが始祖ユミル以降のエルディア族のサクセスストーリーだと考えています。
最後にこれは漫画の世界の物語ですが、これに史実を織り交ぜて考察したり、読んだ本や調べたものの知識が、進撃の巨人の世界観をより豊かにその輪郭を形づけることが出来てとても楽しかったです。
今回の古代エルディアの世界観の考察は一応自分の中では矛盾なく無理なく語れたかなと思います。もし至らぬ点やよく分からない点、もっと言えることがあれば、是非教えてください。見かけ次第反応します。コメント欄を豊かにして、より進撃の巨人を一緒に味わいましょう。
長文お疲れ様でした。
パラディ島のやさしい悪魔
[第123話 島の悪魔 より]
123話。
タイトル「島の悪魔」
読みました。
エレンの始祖の巨人の力が解放して、ついに地鳴らしが発動しました。
そのエレンの巨人の姿がおぞましすぎる…
巨人というより建造物に近いですね。
ドーム状の。
あの肋骨の中で野球ができそう。
今回はエレンの話です。
今回、本記事のタイトルを
「パラディ島のやさしい悪魔」
と題しました。
これは123話のタイトル「島の悪魔」からあやかったもので、エレンのことを指しています。
Twitterの感想でエレンのキャラクターを的確に表している方がいました。
曰く
「エレンは自らの意思で核ミサイルの発射ボタンを押すことができる人間だ」
というものです。
核ミサイルと言う所が生々しくて気に入ってるのですが、例えば超大型巨人の出現時のきのこ雲など、進撃の巨人という作品はかなり露骨に巨人の力を兵器として表現しています。
今思えば単行本19巻、78話「光臨」の、そのきのこ雲は、マーレ登場以前の話なので、巨人の力はマーレに兵器運用されていることの伏線だったのかもしれません。
その発射ボタンを押せば、巨人の力を使えば、どんな大惨事になるのか理解した上で、それでも自分の良しとする目的のために、誰に命令されたわけでもなく、自らの意思で実行してしまえるのがエレンというわけです。
かつて単行本12巻でライナーは「座標」の持ち主であるエレンのことをこう断言しています。
[第50話 叫び 単行本12巻より]
「この世で一番それを持っちゃいけねぇのは」
「エレン…お前だ」
このセリフは、エレンのこんな正体を見抜いていたということなんじゃないかと思います。
この性質がどんだけヤバいか。
正直、俺に核ミサイルを打つ度胸はないです。
いらないです。そんな力。
ただ強い力というものは、それ単体では成立せず、それを行使できる人間の性質という器があって初めて真価を発揮するものなんだな、と思います。
始祖ユミルは、それが叶わなかった。
でもエレンはそれが出来る。
世界を滅ぼすことが出来る。
本当の意味で、島の悪魔になることが出来る。
そんなエレンの性質というのは、どのようなものなのか?
エレンと言えば、と考えると真っ先に
「自由」というワードが浮かびます。
それともう一つ、エレンの持っている
「やさしさ」が大きく関わっていると思ったので本記事のタイトルは
「パラディ島のやさしい悪魔」なのです。
単行本23巻以降、マーレ編以降の成長したエレンは何を考えているのか分からないように描かれています。
顕著なのはレベリオ区の襲撃事件。ヴィリー・タイバーの演説中に巨人化したエレンが乱入、一般人諸共、マーレ軍の主要人を皆殺しにしました。
パラディ島では未だ世界への関係改善の目処が立たず、和平への道を模索している最中でした。しかしエレンのレベリオ区襲撃事件でその和平の道は絶たれました。
これはエレンの完全な独断であり、この事件から味方の兵団からの信頼をエレンは決定的に失いました。
その後もエレンは地下牢を脱獄。
エレンは兵団と足並みを揃える気は微塵も見えません。
それはいつからか?
おそらく123話に登場するユミルの民保護団体すらもパラディ島民を敵視していると分かった時から。
もしかしたら単行本22巻、第90話「壁の向こう側へ」でヒストリアの接触による未来視の時から…
一体何を考えてるのか?
ジークに接触する、という具体的な目的はあるものの最終的にエレンは何を望んでいるのか不明瞭でした。
独断で突き進むエレンと、そんなエレンに困惑するアルミン、ミカサたちという構図が長らく続きましたね。
しかし、ここ数話のエレンは読者に今までの種明かしをするかのように自分を語る機会が多くなったように思います。
まず、ジークに協力的だったのは、別にジークのエルディア安楽死計画に賛同しているわけではなかった、という点。
そして、エレンの目的は兎にも角にも
「地鳴らしの発動」だった、という点。
その地鳴らしの発動の目的は、123話のエレンの発言からパラディ島の人々を守ることである、という点。
しかし、エレンは三つの壁の巨人をすべて解放してしまったようです。
アルミンが指摘する通り、連合軍の撃退にしてはやり過ぎです。
つまりエレンは始祖ユミルへの宣言通り今までの全ての世界中の因縁のケリをつける気でいます。
思い出すのが単行本27巻、第108話「正論」
兵団内、そして同期内でのエレンの不信が募った際にミカサが指摘した、とある日のエレン。
[第108話 正論 単行本27巻より]
「お前らが大事だからだ」
「他の誰よりも…」
「だから…」
「長生きしてほしい」
地鳴らしを発動したエレンの主張は、このときから全く変わっていないんです。
本当に、一字一句違わず、この言葉通りなんですよね。
当時はまだハッキリしていなくとも、今ならこのセリフに
「…だからお前ら以外は全て駆逐する」
と続きます。
この身内への想いと外敵への膨大な殺意が矛盾なく同居しているのが今のエレンなんだなと俺は思います。
だからと言って、パラディ島以外の人間が全て煮ろうが焼こうがどうでもいいというわけではありません。
その辺はとても慎重に描写されていますが、その話は本記事の主題からズレるので語りません。
またこのとき、ジャンはエレンが自分たちを大事に思ってるなら何故レベリオ区では自分たちを危険に晒したのか?と問うてます。それはエレンの未来視が関係していると思うんですが、それはまた別の機会に…
単行本7巻、第27話「エルヴィン・スミス」でアルミンは言いました。
「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることができる人だ」
このセリフに沿って考えれば、エレンはパラディ島の人々を守るために、その他の全ての命を切り捨てることを選んだのだと思います。
またエレンは理不尽に自由を奪われることを決して許しません。
第121話「未来の記憶」でエレンは言いました。
[第121話 未来の記憶 より]
「他人から自由を奪われるくらいなら」
「オレはそいつから自由を奪う」
これはジークと一緒にグリシャの記憶を覗いた際、ミカサを人攫いから助けたときについてエレンが語ったセリフですが、俺はここが気になりました。
というのも、この主張だけでは当時のエレンがミカサを助けに行く理由にはならないからです。
エレンはその人攫いに何か虐げられたわけでもなく、自ら進んでミカサを助けに人攫いと戦いに行っています。
これはエレンの自由とは全く関係ありません。
もし、エレンのこの主張を表現するのなら、エレンもミカサと一緒に誘拐されていたりと、そんな話にするべきだと思います。
ミカサの誘拐事件はエレンの中の自由とは違う部分を物語っているのです。
ミカサの捜索、救助は憲兵団に任せるのが常識的な対応だったはずです。
当時のエレンとミカサの関係はただの他人です。
エレンにとって特に大事な人というわけではない知らない女の子をなぜ命を張って助けるのか?
それは当時のエレンが言うように
[第6話 少女が見た世界 単行本2巻より]
「早く…」
「助けてやりたかった…」
…からです。
エレンがそれを望んだからです。
では何故、エレンはそれを望んだのか?
それは
「エレンだから」
という他ありません。
本当に助けようとしてしまうのがエレンという人間なんだと思います。
見ず知らずの女の子を命懸けで助けてしまうような「やさしさ」もエレンの中のとても大切な部分だと感じました。
だからジークに言ったのは、あれは建前です。
照れ隠しです。
ミカサを助けたのは俺がやさしいからだぜ☆
…なんて間違っても言いません。
誰かを助けられるやさしさと、理不尽を許さない信念が合わさった結果、エレンは必要とあらば核ミサイルのボタンだって押せてしまえるんです。
それが地鳴らし発動の原動力だと俺は読んでいます。
なんか、似てますよね。
ミカサを人攫いから助けたのと、
地鳴らしでパラディ島民を守ろうとしているのが。
ただただ事件の規模が大きくなっただけの違いで。
ミカサの時は人攫いを有害な獣と言っていたけど、今回は流石にそんなこと考えていないのがエレンの中の変化ですけどね。
振り返ってみると、エレンって
ただ「普通にいい奴」なんですよね。
仲間想いで、その絆を心の拠り所にしていて、誰かが傷つくことが許せなくて…
巨人がうろついているような意味不明な世界で
人種問題で迫害されながら
ついには始祖の巨人に目覚め、全世界に超大型巨人の大群をけしかける時でさえ
エレンは「普通にいい奴」であり続けようとしている。
狂った世界でも、当たり前の良心は決して手放さない。
その根っこの部分は変わらない。
俺はそのように見えます。
長文お疲れ様でした。